横浜の酔っ払い
父と飲んだ.
ドルフィンのコース中は,飲酒はご法度だ.
でも私は飲んだ.
飲みたい気分だった.
大学の書類で,どうしても父のサインが必要なものがあり,私は父の住む横浜まで行った.
父は今,母と一緒に住んでいない.
父が私を行きつけの居酒屋へと誘い,そこで書類のサインをもらった.
まずはビールで一杯やりながら,サインをしてもらった.
あまり話すことはない.
離れて久しいから,話題はない.
父は私が物心ついたときから,ダメな男性の3拍子“打つ”(博打)以外のことを日常とし(すなわち,“呑む”“買う”),
子どもである私から見て,家庭を自ら壊した人だ.
特に,愛人を外に作り,山ほどサラ金から借金をしたという点において.
そして私たち家族を捨てたという点において.
私は父を「お父さん」と呼ばない.
彼の下の名前で「Tくん」と呼んでいた.
それは私が彼を父と認めていなかったからだ.
それでも最近は,父と呼びたい風ではあったけれど.
私は父を,とうに許していた.
いや,違う.
父を受け入れない自分を,恥じていた.
ごめんね・・・
それでも,分からないことはある.
父は母のことを,どう捉えているのだろう?
今まで聞いたことがない.
そもそも,父とこんな風に話したことはなかった.
アルコールの心地よい酔いが,私の背中を押してくれた.
「Sさん(母)のこと,どう思う? 愛してるの?」
「そりゃあね.この人だと思った人だからね」
ほんとかなあ,と思う私を見ずに,父はぽつりぽつりと,話しはじめた.
「Sさんと何処で会ったの?」
「キャバレーだよ」
え!
私は一瞬,絶句した.
時代は,学生運動の最中.
父も母も,ずば抜けたIQを誇り,末は博士か大臣かと言われた子どもだった.
父は全国で学力が一番だったこともある.
大学に入ったものの,学生運動激しく,ロックアウトで,大学閉鎖.
そんな中で,父と母は出会ったはずだった.
母はとても真面目な人だ.
彼女は今でも学問を愛する人である.
一方で,否,それゆえに,人生においても自由な思想を愛する人である.
しかし,母がキャバレーで働くとは,想像できない.
まだ世間を知らず,向こう見ずな,二十歳前の若い母・・・
今の私より,若かった母.
どうして,
どうして私たちに今まで話してくれなかったのだろう?
私たち子どもが,母親を軽蔑するとでも思ったろうか?
そんなことはありえないのに?
私は笑い飛ばした.
「えええ〜?! どうしてまたそこで働いてたの?」
「本当にお金がなかったんだと思うよ」
母の昔の暮らしを聞いていたので,本当にそうだったのだろうな,と思う.
「どうして言ってくれなかったのかなあ・・・」
「恥ずかしかったんだろ」
そう言って,父も優しく笑った.
「会って,どんな話をしたの」
「ママはあまり話さなかったよ.俺だけが話してばかりいた.
色んなこと・・・
随分,長い間,話をしたんだよ.
それで,この人だと思った」
父は,父親を早くに亡くし,幸福とは言えない家庭で育った.
母も,両親に捨てられた子どもだった.
父と母,惹かれあうものがあったのか・・・
ひどい家庭だった.
私が育った家庭は,子どもを育てる環境ではなかった.
父は働いてもそのお金をすべて使い果たし,何日も家に帰らず,私たちは食べることにさえ,事欠いていた.
私は食事のとき,おかずのつもりで,よくコップに水を注いで,人数分を食卓に並べた.
そうすると,食器が増えて豪華な食事に見えた.
挙句の果てに,父は私たち家族を捨てた.
そんな風だったから,私は,父と母は仕方なく結婚したのだろうと思っていた.
私が出来たから,仕方なく・・・
堕ろせばよかったのに・・・
ずっと,そう思っていた.
かなり飲んだ.
母の故郷である秋田の酒,高清水を,どれだけ飲んだか,記憶にない.
私はアルコールに強いけれど,自分の足元がおぼつかないのを感じていた.
混雑する横浜の駅.
父と別れ,
駅の本屋に寄った.
何か,読む本がほしい.
私は今の自分から逃げ出したかった.
これまでのこの家庭の元凶はすべて私であると思って生きてきたのに.
私さえ生まれなければ,この家庭の不幸さが作られることはなかったと思って生きてきたのに.
笑いたいのか,泣きたいのか,本屋の並んだ本の背に寄りかかり,私は涙が止まらなかった.
一体,どんな酔っ払いだ.
人が振り返るじゃないか.
ああ,でも,それがどうしたというのだ.
父は母を愛していた.
父は母を,愛していたんだ・・・
私が今まで生きてきた人生の時間が,すべて,涙で洗い流されてゆくのを感じた.
2008.5.23 ハル
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