飽食と飢餓についての手記 (1)





去年の晩秋あたりから,私は自分の異変を感じはじめていた.食性が変わりつつあるのを感じていた.

私は普段,よく食べるが,ラーメンや,牛,豚などの獣肉類はあまり食べない.
それらを食べると体調が崩れてしまうからだ.
忙しくてジャンクなカップ麺を食べるにしても,そばやうどんを食べることが多い.

ところが,深夜にラーメン屋に行き,餃子とラーメンを平らげ,がっつりとステーキ肉を食べたい欲求にかられた.
また私は普段からチーズは好きだけれど,いつにもまして,やたらとチーズを食べたくて仕方がない.
盲目的に食べたいその欲求は,尋常ではなかった.

私の場合,食性が変わるとき,大抵,原因は,うしろにある.
うしろに誰かが憑くと,私は急に食性が変わる.
今回もそれに近かった.


私の前に現れたのは,初期ヨーロッパで飢餓のために死んだ青年.
長身の彼は,がりがりに痩せて粗末な毛皮のようなものをまとって,立っていた.
雪が降っているのに,裸足で,寒々しい.

普段の私ならば,彼を説得してマカバに入ってもらい,そのまま光の都市の癒しの神殿へといざなうのだけれど,
このときは,どうしてもそうする気になれなかった.
激しい飢餓感と空虚感,無気力感をアンビヴァレントに抱えた無口な彼と,少し付き合ってみることにした.


私の行く先々で,彼は食べたいものを主張する.
ソーセージ,クリームパスタ,餃子やラーメン,麻婆豆腐,カレー,シチュー,オムライス,グラタン,チキンソテー,
そしてチーズ,チーズ,チーズ・・・,
こってりがっつりした中華系や洋食系がお好みらしい.
ラーメンを食べた足で,コンビニに行き,グラタンを買う.
「正気かね」と自分で突っ込みを入れながら食べる.
1日5食,食べた日もあった.
これじゃあまるで世間で言う,拒食症だ.あ,吐いてないから,巨食症か・・・
そんなことを思いながら,しかし私はとことん,彼の気の済むまで付き合う気でいた.
飽食に次ぐ飽食の日々・・・

が,年の瀬に近付いた頃,私はファミレスでステーキを食べ,つばめグリルでハンブルグハンバーグを食べる羽目になり,
ついに考え直した.


私は彼の前に,ありったけのご馳走を並べた.
それこそ,世界中のおいしい食べ物を山のように並べてみせた.
「これはすべてあなたのものだよ.全部食べていいんだよ」
すると,彼はしばらく沈黙し・・・そして声をあげて泣き崩れた.


とても貧しい厳寒の山の上の村.
通年気温が低く,平地が少なく,夏は短く,冬が厳しいため,作物はほとんど実らない.
ヤギのような家畜を飼って何とか生活しているが,
年の暮れには,領主にその年のわずかな実りとヤギの乳から作ったチーズを差し出さなければならない.
差し出せば,村にはほとんど何も残らなかった.

何年かに一度,それでも作物やチーズがわずかに残る年があり,
そのときには雪の降る中で,村の広場で寄り添って火を囲み,
チーズや作物を村のみんなで分け合って食べるささやかな行事が行われた.
それが本当に楽しみだった.

村に子どもが生まれると,みんなで大事にした.
母親に食べ物を差し出して,その子が育つようにみんなが祈った.
だが,大抵はその祈りは虚しいものになった.

冷風が雪とともに吹き込むような粗末な小屋の中で,当たる火もなく,彼は飢餓のために眠るように死んだ.

それからしばらくして,村は絶え,雪の沈黙に埋もれた.


私は独り身だった.
この地で,誰かとともに生活を営む気になれなかった.
どうしようもない.
働いても働いても働いても,食べるものがない.
年の暮れ,みんなで囲む炎を見ながら,ふるまわれたこの作物とチーズを独り占めにできたら・・・そう・・・何度も思った・・・

彼はそう思った自分を恥じてもいた・・・
収まらない空腹感と,卑しい自分の飢餓感を恥じ,哀しみ,怒り,絶望していた・・・
「つらかったんだね・・・」

分かるか?
食べるものが無かったんだ.
苦しかった・・・
食べるものが無い,ということは,ガイアから愛されなかったということだ.
ガイアから私たちは愛を得られなかったんだ.
食べるものが欲しかった.
・・・・・
・・・私は,愛が欲しかった・・・

のどの奥から搾り出されたような彼の声は消え入り,固く握られた彼の骨ばったこぶしに涙があとからあとからしたたり・・・
そのこぶしは,あたたかいマリアのてのひらにそっと包まれた.

「ガイアはあなた方を愛していましたよ・・・」
やわらかな光を放ち,マリアは嗚咽する彼をそっとやさしく抱きしめて,彼に光を与えた.

やがてたくさんの光の使者に囲まれて,彼は上空の虹の光の中へと還っていった・・・



彼は私の前世だった.

そしてこれは,次の年明けへの序章だった.





                                            2008.1.14 ハル




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